嫁姑問題について原因を論理的に考えてみた

嫁と姑の関係について、うまくいってるよ〜というケースもあれば、全然うまくいかない…というケースもあり、話題として上がるのは圧倒的にネガティブな、うまくいっていないケースです。
ポジティブなケースだと、そもそもストレスになっていないので、ある意味では自慢になってしまい話題にあがることが少ないんだと思います。

なぜうまくいかないのか?

他人事ではないので、原因を論理的に考えてみました。

夫の内面は父親似?母親似?

結婚相手には、自分に持ってないものを持っていてお互いに足りないところを補い合える関係が良い、とよく言われます。
身体的特徴でも、片や背が高くて相手は背が低い、片やぽっちゃりで相手はスリムであったり。
何かのテレビで観ましたが、自分が持っていないDNAをパートナーに求めるというのは、生き物としての本能だそうです。
なんとなく科学的にも根拠がある感じですね。

そう考えると、夫の立場から見ると、妻になる人は夫とは色々と違うタイプであると考えられます。
夫としては、妻の意外性が刺激となって魅力的に見えたり、自分に無いものを本能的に欲しているのかもしれません。
そして異性であるがゆえに、それが好きという感情になり、やがて愛に変わって、人生の伴侶として選択する。

そして、夫となる人が、内面的に母親に似ていたらどうでしょうか。(つまり、夫と姑が似ているタイプ)

夫から見た妻は異性なので『違ったタイプ』が魅力的に見えます。
しかし、姑から見た妻は同性なので『違ったタイプ』は、『友達になれないタイプ』になるのかもしれません。

結婚相手には『違ったタイプ』を求めますが、おそらく大多数の人は友達には『似たタイプ』を求めるかと思いますので、根本的に嫁と姑が仲良くなることはないんじゃないかな…と。

核家族文化の歴史が浅い

戦後の高度経済成長から女性の社会進出が一般的になってきて、国民が豊かになってマンションが立ち並び、核家族が増えました。
逆に言うと、高度経済成長が訪れるまでは核家族という文化(むしろ概念)が無く、世代を超えた生活が一般的であったと思います。
何百年にも渡って浸透していた文化・生活であり、そこでは嫁と姑というのは相容れなくても“仕方がないもの”として、定着していたのかもしれません。

一方で、核家族が一般的になった文化は、高度経済成長後から現代までのたかだか50年程度です。
現在の50〜60代の方々はまさに文化が変わる真っ只中で、ご自分の親世代は同居が当たり前だったがご自分は核家族である、という方が多いのではないでしょうか。
そんな中、突然ご自分のお子さん夫妻と同居をしたところで、ご自分が経験したことがないので右も左も分からず、強いストレスを感じてしまってうまくいかないのかもしれません。

高度経済成長以前では、何百年にも渡って伝えられたであろう同居の『コツ』があり、周囲を見渡せば同様のケースばかりなので相談もしやすかったんだと思います。
しかし現代では核家族となってしまった時点で同居の『コツ』が伝えられておらず、大げさに言えば人類として初めて触れる文化でもあり、この文化に対応する『コツ』が無いのだと思います。
また、情報化社会であるがゆえにあらゆる情報や選択肢が多く、当事者が判断に迷ってしまうのも原因の一つとも考えられます。

もしかすると、100年後や200年後にはこの現代文化に対応する『コツ』が生まれて、嫁姑問題が解消するかもしれません。

まとめ

僕の考える理論が全てとは言いませんが、分析するとなんとなく原因が少し見えて若干すっきりしました。
うーん、結論どうしようもないのかな…汗

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